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ブログ 日々雑感: 2016年4月
ゴミの分別と曜日は厳守しよう
おはようございます。
朝早くからブログ更新は初めてですが、
ちょっとした出来事があったので書き記します。
いつものように事務所に自転車で来ると、
なんと、ゴミ袋が置いてあったのです。
当事務所の前はゴミの集積所ではありません。
中身はペットボトルや缶などがごちゃごちゃと・・。
そのままにはしておけないので、開店した後に片づけました。
空き缶や500mlのペットボトルは10本ほど、
2リットルペットボトルは4本、中には醤油が入っていたものもありました。
おまけに割れた小皿もそのまま。
あとは宅配の水が入っていたと思われるビニール袋も2~3個ありましたね。
こうやって他人の家の前に平気で捨てる人間ですから、
分別なんてできるはずもないですね。
自分の出したゴミの後始末をしない人がまだまだいることを思い知らされました。
ラベルをはがし、近くの自動販売機の横にあるゴミ箱にペットボトルと空き缶を捨て、
あとは事務所のゴミ箱に入れました。
以前、生ごみをそのまま捨ててあったこともありました。
商店街ですから、一般の人がわざわざ捨てていくことは考えづらいですが、
周りの誰かを疑うこともしたくないですし・・。
こういった時はあまり深く考えず、
世の中には不届き者がいると割り切って過ごすのが一番ですね。
でも、ちょっと腹立たしい朝ではありました・・。
朝早くからブログ更新は初めてですが、
ちょっとした出来事があったので書き記します。
いつものように事務所に自転車で来ると、
なんと、ゴミ袋が置いてあったのです。
当事務所の前はゴミの集積所ではありません。
中身はペットボトルや缶などがごちゃごちゃと・・。
そのままにはしておけないので、開店した後に片づけました。
空き缶や500mlのペットボトルは10本ほど、
2リットルペットボトルは4本、中には醤油が入っていたものもありました。
おまけに割れた小皿もそのまま。
あとは宅配の水が入っていたと思われるビニール袋も2~3個ありましたね。
こうやって他人の家の前に平気で捨てる人間ですから、
分別なんてできるはずもないですね。
自分の出したゴミの後始末をしない人がまだまだいることを思い知らされました。
ラベルをはがし、近くの自動販売機の横にあるゴミ箱にペットボトルと空き缶を捨て、
あとは事務所のゴミ箱に入れました。
以前、生ごみをそのまま捨ててあったこともありました。
商店街ですから、一般の人がわざわざ捨てていくことは考えづらいですが、
周りの誰かを疑うこともしたくないですし・・。
こういった時はあまり深く考えず、
世の中には不届き者がいると割り切って過ごすのが一番ですね。
でも、ちょっと腹立たしい朝ではありました・・。
(エス・モダンホーム) 2016年4月26日 09:51
信用回復の道険し
仏の顔も三度撫でれば腹立てる
どんな慈悲深い人でも何度も無礼なことをされれば怒り出すことのたとえとして、
誰もが知っている故事です。
有名な自動車メーカーが3度も顧客を裏切りました。
リコール隠しは過去に2度、そして今度は燃費の不正問題。
信頼はコツコツ積み上げてようやく得られるものですが、
不正や裏切りは一度で信用失墜となります。
今回の三菱自動車の失態を許すことができない人が多いようです。
一番の被害者は三菱を信頼して自動車を購入した人たちです。
私も愛車を所有していますが、自分がその立場になったら怒りよりもショックのほうが大きいと感じています。
信頼して気に入って大枚はたいて買ったのに・・と。
三菱を叩くのは自由ですが、
私は今回の事件は決して他人事ではないと思います。
人間には「良く見せたい」という欲が誰しもあります。
決して三菱を擁護するものではありませんが、
ことが起こって、「そら見たことか」とやんややんやと大衆に混じって罵声を浴びせることが、
自分にとって重要なことなのかを考えるべきです。
「私はそんなことはしない」
私もそう思っています。
でもそれは絶対的なものでしょうか。
どこか心の隙間に「まさか」という坂があって、そこを転げ落ちるとも限らない。
だから、こういった時こそ反面教師として、我が身に置き換えてみることも無駄なことではないはずです。
世間で三菱を叩いている人のほとんどは、三菱自動車の車を持っている人たちではないですしね。
ただ、経営幹部たちは販売所行脚をして、
一人一人の顧客に謝罪することは必要でしょう。
いつも対応するのは現場です。
日産との折衝もあるでしょうが、
経営の根底となっている顧客(消費者)を蔑ろにしては、
三菱自動車の再建は絶対にありえない。
そして、被害者意識の強い日産も同罪です。
OEMとはいえ「日産の軽」として販売していたんですから。
会社は何か事が起こると、こういう姿勢が顕著になるものですね。
今年のサラリーマン川柳にこれを端的に言い表したものがありました。
決めるのは いつも現場に いない人
これになぞらえて一句。
逃げるのも いつも現場に いない人
顧客を大切にしない企業に明日はないと、
今回の事件で新たに胸に刻みます。
どんな慈悲深い人でも何度も無礼なことをされれば怒り出すことのたとえとして、
誰もが知っている故事です。
有名な自動車メーカーが3度も顧客を裏切りました。
リコール隠しは過去に2度、そして今度は燃費の不正問題。
信頼はコツコツ積み上げてようやく得られるものですが、
不正や裏切りは一度で信用失墜となります。
今回の三菱自動車の失態を許すことができない人が多いようです。
一番の被害者は三菱を信頼して自動車を購入した人たちです。
私も愛車を所有していますが、自分がその立場になったら怒りよりもショックのほうが大きいと感じています。
信頼して気に入って大枚はたいて買ったのに・・と。
三菱を叩くのは自由ですが、
私は今回の事件は決して他人事ではないと思います。
人間には「良く見せたい」という欲が誰しもあります。
決して三菱を擁護するものではありませんが、
ことが起こって、「そら見たことか」とやんややんやと大衆に混じって罵声を浴びせることが、
自分にとって重要なことなのかを考えるべきです。
「私はそんなことはしない」
私もそう思っています。
でもそれは絶対的なものでしょうか。
どこか心の隙間に「まさか」という坂があって、そこを転げ落ちるとも限らない。
だから、こういった時こそ反面教師として、我が身に置き換えてみることも無駄なことではないはずです。
世間で三菱を叩いている人のほとんどは、三菱自動車の車を持っている人たちではないですしね。
ただ、経営幹部たちは販売所行脚をして、
一人一人の顧客に謝罪することは必要でしょう。
いつも対応するのは現場です。
日産との折衝もあるでしょうが、
経営の根底となっている顧客(消費者)を蔑ろにしては、
三菱自動車の再建は絶対にありえない。
そして、被害者意識の強い日産も同罪です。
OEMとはいえ「日産の軽」として販売していたんですから。
会社は何か事が起こると、こういう姿勢が顕著になるものですね。
今年のサラリーマン川柳にこれを端的に言い表したものがありました。
決めるのは いつも現場に いない人
これになぞらえて一句。
逃げるのも いつも現場に いない人
顧客を大切にしない企業に明日はないと、
今回の事件で新たに胸に刻みます。
(エス・モダンホーム) 2016年4月25日 10:46
過去に学ぶことに大切さ
甚大な被害をもたらした熊本地震。
亡くなられた方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災された皆さまには心よりお見舞い申し上げます。
5年前の東日本大震災の記憶の風化に警鐘を鳴らすかのような大地震。
大自然の驚異の前に、人の力など無力だとまた実感させられました。
人智を超える大地震は予知できないですから、
我々のできることはその時に「備える」ことしかできません。
それが教訓というもの。
教科書に出てくるような過去の歴史に学ぶことは本当に大事です。
先人たちは身に起こった数々の出来事を書き記してくれています。
それから学べることが多くあります。
歴史を軽んじている人に、
将来を見据えることなどできないと私は思います。
歴史は繰り返すのですから。
「世界一貧しい大統領」として来日した、
ムヒカ前ウルグアイ大領の言葉は心に響きました。
ムヒカ氏は、軍事費で無駄遣いされているお金を貧困や環境問題の解決に使うべきだ、
と述べています。
格差社会なんて存在しなくなるかもしれませんね。
この他にもムヒカ氏は言葉を残しています。
東京新聞の記事 を是非ご覧になってください。
人は物欲が強くなると、歴史に学ぶことができなくなるのかもしれませんね。
今は、熊本県を中心とする九州の復興を願うばかりです。
亡くなられた方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災された皆さまには心よりお見舞い申し上げます。
5年前の東日本大震災の記憶の風化に警鐘を鳴らすかのような大地震。
大自然の驚異の前に、人の力など無力だとまた実感させられました。
人智を超える大地震は予知できないですから、
我々のできることはその時に「備える」ことしかできません。
それが教訓というもの。
教科書に出てくるような過去の歴史に学ぶことは本当に大事です。
先人たちは身に起こった数々の出来事を書き記してくれています。
それから学べることが多くあります。
歴史を軽んじている人に、
将来を見据えることなどできないと私は思います。
歴史は繰り返すのですから。
「世界一貧しい大統領」として来日した、
ムヒカ前ウルグアイ大領の言葉は心に響きました。
ムヒカ氏は、軍事費で無駄遣いされているお金を貧困や環境問題の解決に使うべきだ、
と述べています。
格差社会なんて存在しなくなるかもしれませんね。
この他にもムヒカ氏は言葉を残しています。
東京新聞の記事 を是非ご覧になってください。
人は物欲が強くなると、歴史に学ぶことができなくなるのかもしれませんね。
今は、熊本県を中心とする九州の復興を願うばかりです。
(エス・モダンホーム) 2016年4月23日 13:18
ちょっと寒く感じますが・・。
暖かい日が数日続いた後には、昨日今日の気温は低く感じますね。
4月だからもっと暖かいはず・・と思いがちですが、
100年以上前はもっと寒かったんですね。
ちょっと気象庁のホームページをのぞいたら、
4月の最低気温は、1876年には、6.5度だったんですね。
それが2015年では10.1度。
どの月も最低気温は3~5度は上昇していました。
12月なんて、1876年は―0.7!
でも昨年は5.8度!
(数値はすべて東京です)
暖房器具が発達し、快適な生活に慣れてしまっているせいか、
自分も含め、我慢ができない人間になってしまったような感じさえありますね。
とは言っても、現在の気温しか知らない私たちです。
「昔はもっと寒かった」なんて言っても「そんなことは知らない」で終わってしまいそう・・。
しかし、気温一つとっても、昔を知ることは大切なことです。
こんな小さなことさえも「過去のことだから」で終わってしまっては、
「過去に学ぶ」、または「歴史に学ぶ」ことなどできなくなってしまいます。
たった5年前のあの東日本大震災さえすっかり忘れ、
原発原発と傾く我が国の政権与党を見るにつけ、
「過去に学ぶ」姿勢は微塵も感じられないと思う今日この頃です。
4月だからもっと暖かいはず・・と思いがちですが、
100年以上前はもっと寒かったんですね。
ちょっと気象庁のホームページをのぞいたら、
4月の最低気温は、1876年には、6.5度だったんですね。
それが2015年では10.1度。
どの月も最低気温は3~5度は上昇していました。
12月なんて、1876年は―0.7!
でも昨年は5.8度!
(数値はすべて東京です)
暖房器具が発達し、快適な生活に慣れてしまっているせいか、
自分も含め、我慢ができない人間になってしまったような感じさえありますね。
とは言っても、現在の気温しか知らない私たちです。
「昔はもっと寒かった」なんて言っても「そんなことは知らない」で終わってしまいそう・・。
しかし、気温一つとっても、昔を知ることは大切なことです。
こんな小さなことさえも「過去のことだから」で終わってしまっては、
「過去に学ぶ」、または「歴史に学ぶ」ことなどできなくなってしまいます。
たった5年前のあの東日本大震災さえすっかり忘れ、
原発原発と傾く我が国の政権与党を見るにつけ、
「過去に学ぶ」姿勢は微塵も感じられないと思う今日この頃です。
(エス・モダンホーム) 2016年4月12日 14:50
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